前回のブログで、台湾のドラマのことを書いていた時に思い出したことがあります。
台北に艋舺龍山寺という市内最古のお寺があります。
艋舺龍山寺はとても有名な観光地であるにも関わらず、周辺の雰囲気はというといかにも「ザ・下町」といった感じで、夜市も他の台北のエリアのものとは様相がかなり違います。
艋舺龍山寺の近くにある華西街夜市ではヘビ料理の店が有名で、今はあるかどうかわかりませんが20年程前に初めて訪れたときは、カエルをまるごと入れたスープの店もあり衝撃を受けたものです。
最寄り駅である龍山寺駅のロータリーの雰囲気も、他の駅のそれとは一味も二味も違います。「治安が悪い」というほどではないのですが、通る時は少し気持ちがピリッと引き締まります。
そんな独特の雰囲気にある艋舺龍山寺ですが、一歩中に足を踏み入れると地元の人や観光客でにぎわっているにも関わらず、空気が清らか。ものすごい浄化作用を感じます。
とても居心地がいいのでその辺に腰かけていたら、ふと隣に座っている初老の男性がなかなかな個性の持ち主であることに気が付きました。
白髪まじりの髪は腰当たりまで伸び、こんがり焼けた肌はいくつもの皺がきざまれ、歯はほとんどなく目は白く濁っているものの、醸し出すオーラは一瞬ひるむくらい。よく見ると紙袋にいくつかの生活用品が入っていました。住む家がないのかもしれません。
これは余談ですが、ホームレスのことを台湾では「街友」というそうです。「家がない人」と「街の友」では全くイメージが異なりますね。
そうそう、路上生活者が生計の助けとして販売している雑誌「BIGISSUE」が台湾にもありまして、これがめちゃくちゃオシャレ。台湾の有名なデザイナーが制作に関わっているそうです。ぜひ見つけたらゲットしてみてくださいね。
さて、その男性の話に戻ります。不思議と嫌だなぁという感覚はなくて、むしろ仙人のように落ち着いて座っている佇まいに触発され、無性に瞑想したくなってきました。
なんとなく膝の上に手を乗せ、手のひらを天に向け、軽く目を閉じてみました。
目で見ることはできませんでしたが、そんな私の様子にうんうんと頷き微笑む彼の様子を感じることができました。なんだか神様に見守られているような感覚でした。
先日あるテレビ番組で、大阪の新世界エリアにいた男性にインタビューしていたのを見ていた時、経済的には恐らく恵まれていないであろう男性の発言に心底驚かされました。完全に哲学の世界に入っていました。
このような人に、カウンセラーやセラピストなどの助けは全く必要ないんだろうなぁと思いました。
龍山寺の男性といい新世界の男性といい、現在の資本主義社会において彼らのような人たちは、いわゆる負け組と称されるのかもしれません。
ですがその霊的成長度というか、魂の成熟度は、経済力だけでは計り知れないものがあるのではないかと思わされました。物事というのは、一つの尺度で測れるような単純なものではないということを改めて感じています。